以前のブログで一つ書き忘れていたことがありました。大学4年の夏に初回の会計士試験に落ちた時のことです。私の将来に不安を感じたのか、父親が知り合いの人事部長に尋ねたのか頼み込んだのかはわかりませんが、就職内定の話を持ってきました。
1部上場会社でもあったので、私も大変悩みました。その時点ではまだ瞑想の習慣はなかったのですが、自分が心底何をやりたいかを考える時間となりました。その結果、合格しなければ社会に出られないという窮地に自らを追い込む決心をしたのです。
それから1年は1日14時間ほどの猛勉強に励み、翌年の試験で合格することが出来ました。7科目の試験なので、全範囲を網羅的に習得するのは困難で、メリハリをつけるというか、いわば山を張って取り組むしかない中で、合格できたのは宇宙の絶大なる応援の賜物だと思っています。
結婚後、2人の子供を授かりますが、ここにも宇宙の采配と言われる家族構成のコントラストが見られました。長女は聞き分けが良く、あまり我を張らない性格でしたが、長男は真逆でした。
家族構成のコントラストとは、魂の成長のために、両極端の性格を持つ人物を家族内に敢えて揃えるということです。それによって、それぞれの極端な部分のプラス面マイナス面を目の当たりにしたうえで、バランス感覚を養うためといわれています。
私自身にも、姉がいましたが、性格は真逆でした。言いたい放題の姉と、父親の顔色を伺いながらいい子を演じる私という具合でした。
そんな私に、魂の成長を求めるとても厄介な出来事が起きました。勤めていた法人のある事業部で人事担当を任されていたのですが、なんと退職勧奨面談を担当することになってしまいます。中途採用で拡大してきた事業部でもあったので、採用面談をした人相手に言わばリストラ面談をするという、大変つらい立場に立たされました。
前にも書きましたが、父親から強いコントロールを受けて育った私は、思ったことをなかなか表に出せないたちの人間でした。ところが、退職勧奨面談では、相手の問題点を明確に指摘し、現在の仕事には向かないと理解させる必要があるため、ズバズバと言わなければならないのです。人事評価が低い人は総じて、上司の評価がおかしい、自分は仕事をきちんとこなしていると考えている人が多いため、これまでの低評価は決め手とはなりません。
重苦しい面談は数カ月に渡りへとへとになりましたが、振り返ってみると私として得られたこともありました。それは、親身な指摘は相手に響くということです。通り一遍のダメだしでは、相手の耳がシャットダウンしてしまいますが、相手の立場に親身に寄り添ったうえでの指摘は、たとえ痛い言葉であってもシャッターをこじ開けて相手の心に届くということを実感しました。
この出来事以降、私は気づいたことを相手に伝えることの意味を理解したことで、これまでの遠慮が影を潜め、積極的に発言できるようになりました。もちろん、それによって議論が生じることはありましたが、議論を重ねることでより深い理解や信頼を得られるということにも気づきました。