私は小学校入学以前の幼少期には、しょっちゅう熱を出して、小児科医の往診を受信するという虚弱体質とまでは言えませんが病弱な時期を過ごしました。そんな息子にふがいなさを覚えていたのか、父親の育て方は猛烈でした。海軍兵学校出身で自身も先輩から殴られてきた父は、息子にも鉄拳制裁を加えてきました。殴られて泣いていると、男は泣くんじゃないとさらにヒートアップし、泣き止まないと玄関から外に出され、鍵をかけられるということも何度かありました。
それでも、小2から始めた少年野球のおかげで、徐々に体力もつき、小学校時代は学校を休むこともほとんどないくらい健康優良児として成長できました。4年生以降の塾通いのおかげで学校の成績も徐々に上がり、逆らわなければ父親の鉄拳制裁を受けないということも体が覚えていきました。ただ、そのせいか思ったことをはっきり言えないようになっていったと今では思います。
その後も中学も野球部、高校では卓球部と運動系の部活を続け、さらに筋肉を増強できたと思います。当時の運動部では、現在ではありえないくらいうさぎ跳びをさせられたり、練習の開始前と終了後のランニングも半端ない距離を走らされました。そのおかげか現在においても、我が家の体組成計で計測すると、筋肉年齢はマイナス15才(MAX)を維持しています。
当時は何も考えず、やらされるがままにトレーニングしていましたが、スピリチュアルに触れて、これも魂の成長目的に沿った出来事かもしれないと考えています。過去世で病弱な人生を送った私の魂が、次の人生では体を鍛えて健康に生きるという目標を設定していたのかなと今では考えています。ただ、ストレッチの知識も持たずやみくもに筋肉をつけていったことで、30過ぎくらいから重たく固い筋肉となってしまったためか、足先のしびれに悩まされることとなります。
話は高校2年の時に飛びます。当時私は特段将来のことを考えていなく、父親がサラリーマンだったこともあり、大学を出て、それなりの会社へ就職するのかなくらいに思っていました。そのような私が、当時雇われ支配人をしていた父親が勤めるゴルフ場にゴルフをしに行ったのですが、父親が打ち合わせを済ませてからスタートしようということで、30分ほど支配人室で待たされることになってしまいます。そこで偶然出会ったのがゴルフ場の親会社の監査を担当していた公認会計士の方です。
そこで公認会計士という、それまで全く知らなかった職業の魅力を聞かされることになるのですが、これが運命の転機というか、私は公認会計士になりたいと将来の目標をそこで決定することになったのです。これも守護霊(ガイド)の導きではないかと今では考えています。
この先は次のブログにてお伝えします。