スピリチュアルというと神様の話が登場するケースが多いので、宗教と同一視される方も多数いらっしゃると思います。ただ、宗教の神様は、各宗教においてそれぞれの唯一神がいるのに対し、スピリチュアルでいう神様は宇宙の創造主を指しているので、神様というと宗教上の神様ととらえられがちなため、宇宙という言い方をする方もいます。
宗教は人間が作ったもので、経典や法典が必ずと言っていいほどありますが、スピリチュアルにはありません。魂は誰にでも宿っているものですし、守護霊(ガイド)も誰にでもついていますので、信じる信じないという話ではなく、それと向き合うか、目をそむけるかという話になるわけです。
宗教の開祖者にも魂が宿り、ガイドがついているのです。その開祖者が神からのお告げとしたものは、おそらく魂やガイドからのメッセージだと考えられます。それを経典としてまとめ、世に伝え信者を集め、お布施を集め、教会を建てるというように、言わばビジネス化していくわけです。
宗教は信仰対象が必ずあり、祈ること及び戒律に反しないことで救われると説かれますが、スピリチュアルは内なる魂と向き合い、あるがまま生きることを主眼としています。
宗教にはお布施がつきものですが、スピリチュアルは個人的に魂やガイドのメッセージを聞きながら生きていくうえでは無料です。経典が無く、言い伝えられてきたことを知るためには、ある程度市販の書籍代くらいはかかりますけどね。
私ももちろん信仰の自由は尊重していますので、特定の宗教が自分の考えにフィットしていたり、救われたと思うことから信者となることはあって当然かと思います。ただ、一部の宗教が信者の囲い込みをし、時には恐怖観念を植え付けて改宗をさせないといったことには疑問を感じています。それは、他宗教を批判するといった言動にも表れてきます。さらに過熱すると宗教戦争にまで飛躍していくわけです。
おそらくどの宗教でも開祖者は、人々を救いたいという思いから立ち上げたと思うのですが、それが高じて殺し合いにまで発展してしまうことを望むはずはなく、特定の信者たちの思い違いや、先導者となることに酔いしれてしまう人物の登場が誤った方向に向けてしまったのではないでしょうか。
幸いにスピリチュアル界においては戦争は起きていません。自分の魂とガイドの導きでそれぞれの人は生きているので、他人の魂やガイドについて否定しようがなく、それは受け入れられるからです。よって、自分との違いで他人との議論にはなっても、宗派のようなものは生まれないことから、当然戦争にまで発展することはありえないのです。
ここまでスピリチュアルと宗教とを比較することで、その違いを明確にしてきましたが、両者は対立するものではないことはお伝えしておかなければなりません。つまり、特定の宗教の信者であっても、スピリチュアルな人生の仕組みを理解し、自分の魂とガイドからのメッセージを受け取りながら生きている方は大勢います。日本ではまだまだスピリチュアルへの理解が進んでいませんが、欧米ではスピリチュアルは当たり前のように受け入れられています。その中には当然にキリスト教信者も多く含まれています。以前紹介した神との対話の著者もキリスト教信者でした。
私の今世におけるミッションは、日本においてもスピリチュアルへの理解を深めていく方を一人でも多く増やしていくことだと考えています。